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ヒラフの名前の由来|1300年以上前の将軍・阿倍比羅夫と、北海道の古名「後方羊蹄」

ニセコHUB編集部 · 2026/10/11

ヒラフの名前の由来|1300年以上前の将軍・阿倍比羅夫と、北海道の古名「後方羊蹄」

スキー場で知られる「ヒラフ」という名前は、1300年以上前の将軍、阿倍比羅夫(あべのひらふ)にちなむと言われています。今から見ると意外ですが、ニセコや倶知安のある一帯は、飛鳥時代のできごとを記した歴史書『日本書紀』にも登場する古い土地なのです。地名の由来をたどると、この地域が「後志(しりべし)」と呼ばれるようになったわけまで、ひとつの線でつながります。

この記事は2026年10月8日時点の情報です。古代史には諸説あり、確実な史実と、言い伝え(通説)は分けて書きます。地名の話つながりでは、ニセコという名前の由来もあわせて読むと、この土地の成り立ちが見えてきます。

阿倍比羅夫とは|『日本書紀』に残る、北方へ向かった将軍

阿倍比羅夫は、7世紀なかば、飛鳥時代に活躍した将軍です。生まれた年も亡くなった年もはっきりしませんが、『日本書紀』には、斉明(さいめい)天皇の命を受けて北の海へ遠征したことが、年を追って記されています。

書物によれば、斉明天皇4年(658年)に180隻の船団を率いて北へ向かい、翌659年には再び180隻で遠征します。さらに660年には200隻で粛慎(みしはせ)という人々と戦ったとあります。船の数だけでも、当時としては大きな事業だったことが伝わってきます。遠征の相手として出てくる「粛慎(みしはせ)」は、北の海べでくらしていた人々とされます。『日本書紀』には、比羅夫が生きたヒグマ2頭とその毛皮70枚を朝廷に献上したという話まで残っていて、千年以上前の北の国の様子が、わずかながら垣間見えます。斉明天皇は、都から遠い北の海にまで何度も船団を送った女性の天皇でした。のちに白村江(はくすきのえ)の戦いにも将として加わった、古代の有力な武人でした。

「後方羊蹄」に郡領を置く|ニセコ・後志のはじまり

この地域にとって大切なのが、659年の遠征の記述です。『日本書紀』には、阿倍比羅夫が「後方羊蹄(しりべし)」という場所に政所(まつりごとどころ)を置き、土地をおさめる役人(郡領)を任命した、という意味のことが書かれています。

この「後方羊蹄」が、今の「後志(しりべし)」という地域名の、もとになったと考えられています。後志は、倶知安町やニセコ町を含む、羊蹄山のまわりに広がる地域の呼び名です。羊蹄山そのものが「蝦夷富士(えぞふじ)」とも呼ばれ、昔から人の目印になってきた山でした。羊蹄山のことは羊蹄山の登山ガイドでもくわしく紹介しています。千年以上前の記録に出てくる土地に、今、世界中からスキーヤーが集まっていると思うと、少し不思議な気持ちになります。後志には、倶知安町やニセコ町のほかにも、果樹で知られる余市や仁木、積丹半島のまちなどが含まれます。羊蹄山を囲むように、海と山の両方をあわせ持つ地域です。古い記録に名を残す土地が、今は農業やリゾート、漁業で知られているのも、この土地の層の厚さを感じさせます。

ヒラフという地名|将軍の名が、今に残る

スキー場や温泉で使われる「ヒラフ(比羅夫)」の名は、この阿倍比羅夫にちなむとされています。将軍がこの一帯に関わったという言い伝えから、その名が地名として残った、という説です。古代の遠征が実際に羊蹄山のふもとまで及んだのかは、はっきりとは分かっていません。そこは史実というより、長く語り継がれてきた物語として受け取っておくのが、ちょうどいいところです。比羅夫の名は、スキー場の「ヒラフ」だけでなく、昔からの「比羅夫温泉」の名にも使われてきました。一説には、将軍が羊蹄山の後ろ手にあたる地域に拠点を置いた、とも語られます。ただ、これも確かな記録が残っているわけではなく、土地の記憶として受け継がれてきたものです。

同じ名前は、ほかの場所にも残っています。函館本線には「比羅夫駅」という駅があり、やはりこの将軍の名を伝えています。ふだん「ヒラフに泊まる」「ヒラフで滑る」と口にしている名前が、実は1300年以上さかのぼる人物の名だと知ると、見慣れた看板の文字が少し違って見えるかもしれません。

倶知安神社に祀られる阿倍比羅夫|全国でも珍しい

阿倍比羅夫は、ただの言い伝えの中の名前ではありません。倶知安町の倶知安神社では、この阿倍比羅夫将軍が、実際に神さまの一柱として祀られています。人物を神として祀る神社は各地にありますが、阿倍比羅夫を祀る神社は全国的にも珍しいものです。

倶知安神社では、昭和17年(1942年)に、後志開拓の祖神(そしん)として阿倍比羅夫将軍をお祀りに加えました。先ほどの『日本書紀』の「後方羊蹄に郡領を置く」という記述が、その理由とされています。千年以上前の将軍と、明治からの開拓の歴史が、ひとつの神社の中でつながっているわけです。神社そのものの歴史や、十一柱におよぶ御祭神については、別の記事でくわしくまとめます。日本の神社やお参りの作法に興味があれば、日本文化ガイドも入り口になります。

よくある質問

ヒラフの名前は、本当に阿倍比羅夫が由来ですか?

そう言われていますが、断定はできません。阿倍比羅夫が『日本書紀』に登場する実在の将軍であること、後志という地域名が「後方羊蹄」に由来すると考えられていることは確かです。一方で、ヒラフという地名が将軍に直接つながるかは、言い伝えの部分が大きいです。

「後方羊蹄」は何と読みますか?

「しりべし」と読みます。今の「後志(しりべし)」地域の名のもとになったとされ、倶知安町やニセコ町もこの後志に含まれます。

阿倍比羅夫を祀る神社はどこにありますか?

倶知安町の倶知安神社です。昭和17年に、後志開拓の祖神として祀られました。阿倍比羅夫を祀る神社は、全国的にも数が少ないものです。

この土地の名前や成り立ちをもっと知りたくなったら、ここから読み進めてみてください。

— ニセコ Hub 編集部

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